『好きなことだけやればいい』

◎P.22
好きなことばかり勉強していては、一般常識のない人間が生まれる危惧があると言う人もいる。私はそうは思わない。一般常識など学ばなくても、少なくとも一芸に秀でた人間は普遍的な知識をそこから得ることができる。

◎P.33
特に一流大学と呼ばれている学校から入ってくるのは受験秀才だ。小さいころから親や教師のロボットになり、自分の頭で考えることができない自己中心的な人間が多い。彼らは出世競争という名の利益誘導型再教育に適している。おそらく企業が一流大学卒を採用したがる理由の一つは、こうしたことにもあるのではないだろうか。

◎P.36
会社の仕事の全体を見渡せるようになると、自分のやっていることの意味がよくわかる。そして、自分の仕事がおもしろくなる。研究開発という仕事は、会社全体のことや会社自体の目的などを理解していないと、やっていてもつまらないからだ。

地方の中小企業だった日亜化学も、私が発明した青色LEDや青色レーザーの売り上げによって、有名な中堅企業になった。社員も増えたし、一流大学から多くの新入社員が入ってくるようになった。

新しく会社に入ってきた人たちは、会社が大きくなっているから全体を見渡すことなどできない。配属された部署の仕事だけしかできないし、ほかの部署に首を突っ込むと怒られたりする。ほかの部署がなにをやっているか、それさえもわからなくなり、自分のことしか見えない永遠のサラリーマンが増えていく。

大きな会社で機械の一部のようにして働いていると、全体のことが見えなくなる。見えなくなると仕事がつまらなくなる。つまらない仕事をがんばることはできない。これは永遠のサラリーマン人生だ。次第に無気力な社員が増えていく…。悪循環である。自分にとっても会社にとっても、大きな損失であることは間違いない。

◎P.63
自分のやりたいことを自分の責任で思う存分やるべきなのだ。都会でのサラリーマン生活や子育てが嫌だと思ったら、その通りにすればいい。あとはどうにかなる。それが人生だ。

◎P.114
米国での体験は、良くも悪くも、その後の私に大きな影響を与えてくれた。それを考えれば、大胆な行動を起こさなければならないときというのは必ずある。チャンスを逃さず、思い切って決断すべきなのである。

◎P.149
バレーボールに明け暮れた中学高校の六年間は、私にとって欲求不満の固まりだった。ところがその気持ちは、高校時代とは少し変化してきていたのである。つまり、なにも成果がなくても六年間がんばって練習を続けたということが、ある意味で私の自信につながっていた。

自分でもおかしな自信だと思う。なんの達成感もなかった六年間だったが、ただがんばり続けるということができたことが自信になっていたのである。その自信を強く実感したのは、会社勤めを始めてからのことだ。会社の命令で「これは売れる」という製品を十年間で三つ作った。ガリウム燐、ガリウム砒素、赤外LEDと赤色LEDだ。自分なりにがんばって、ただがむしゃらに研究開発に打ち込んできたのである。

こうしたことは、私や日亜化学という会社だけに特有のものではないはずだ。人生、どこでなにがどう活きるか、わからない。なんの成果も生み出さないと思っていたことでも、いつかなにかに結実することがあるのだ。

◎P.167
個人個人によって能力は違うし、得意分野もそれぞれだ。不得意な仕事で自分の力を発揮できない人間は別だが、こうした人間の違いが個性なのである。私は人間には誰にでも人より優れた得意分野がどこかしらあるし、好きなことを熱中してやればいつか必ず実力がつき、その結果が自信につながると信じている。

だからこそ、個性という能力に応じた報酬を求めてなにが悪いのだろうと思う。米国では、企業や組織が人を雇うとき、時間をかけて個々の人と入念な面接を行い、その人の能力に応じた仕事、報酬、待遇を取り決める。

◎P.175
日本の教育制度というのは、大学入試のための受験勉強を好きになることだけを強要してきた。ほかのことは一切、好きになってはいけないのである。テレビを見ていたら勉強しなさいと言われ、授業中にイタズラ描きをしていたら叱られる。

受験勉強が好きになれなかった子どもたちは、自らをごまかして勉強するか、自分の好きなものを見つけられず、既存の価値観から外れていく。運良く受験勉強を好きになれた子どもは幸せだ。だが、ごまかして勉強し、たとえいい大学、大企業に入ったとしても、既存の競争から降りて自分なりの価値観を見いだすか、スキルも身に付かないまま生きていかざるを得ない。

◎P.197
大学受験をなくし、子どもたちに好きなことだけを学ばせてみれば、日本はだんだん良くなっていくだろう。好きなことだけやればいい。これを教育の大きな方向性として考えていく。

テレビゲームが好きな子どもには、とことんテレビゲームで遊ばせよう。スポーツが好きな子どもは、気が済むまで体を動かせばいい。本を読むのが好きな子どもは、一日中、本を読んでいてもかまわない。絵を描くことに夢中になる子どもには、描ききれないほど多くの紙と絵の具を与えてあげる…。

こうして好きなことをやっていると、どんどん得意になって上達していったり、深く考えていったり、たくさんのことを学んだりする。さらに、好きなことから派生するあらゆることにも興味を抱いていくだろう。好きなことにのめり込むということで、好きなことに関係したこと全てを知りたくなるからだ。

飽きてしまい、別のことが好きになるかもしれない。それなら別のことをとことんまでやらせればいいのである。ひょっとすると、前に好きだったことが生かされ、新しく好きになった分野で新しい発見をするかもしれない。

自分の好きなことは、誰だってがんばって勉強する。こうした蓄積が自分の血となり肉となって自信につながる。自分がなにをどれだけやってきたのかがハッキリわかるから、人と比べるまでもなく絶対的な自信が生まれるのだ。その自信が、好きなことをさらに深くつきつめることにつながっていく。

◎P.204
私の場合、あまり好きなようにやっていたものだから、できちゃった結婚に至り、日本のメインストリームから外れてしまった。そのおかげで日亜化学に入り、青色LEDを発明することができたのだから人生はわからない。メインストリームから外れたことが結果的には良かったのである。やはり、好きなことを好きなようになるべきなのだ。

これは、仕事や勉強、趣味など、全てのことに共通して言える。好きなことを好きなようにやればいいというのは、私にとって一種の普遍的な真理だ。

『好きなことだけやればいい』(中村修二・著、バジリコ)