与那嶺正勝『新・家系の科学』

◎東大生の家系を300件あまり調べましたが、その8割が先祖代々、学問を積んだという背景がありました。田舎の高校から何年に一度という割合で東大に合格してくる人でもその先祖は、学問を重んじた庄屋であったり造り酒屋であったり、寺子屋の師匠であったりします。加えて、学問の系統というのは、母親の家系のほうの影響が小さくありません。母親が優秀だと、子供も優秀な子が生まれることはよく知られていますが、その場合、何も母親だけが優秀というのではなく、母親の先祖が優秀な場合が多いのです。(P.44)

◎トップの人と部下の人の家系をほぼ同時に調べるわけですが、そのデータを分析してみると、トップの人はトップの家系、部下の人は部下の家系をしていることがわかり、大変驚かされます。部下の人でも将来出世をするであろう人は、トップの家系を背負っています。本人がトップクラスで優秀だと、先祖に必ず優秀な人がいます。(P.54)

◎水呑み百姓の小倅(せがれ)から天下人へと登りつめた太閤秀吉の大出世物語は、実は作られた話であって、その家系をたどると、それなりの力量をもった先祖の流れであったことが、知られています。反対に人生が穏やかな人の先祖をたどると、先祖もやはり波静かということが多いものです。(P.55)

◎昔の造り酒屋さんというのは、防腐剤も冷蔵施設もありませんでしたから、いつどれだけの米を仕込んで、どれだけの量を売り出すかという判断が難しく、また、販売ルートについても自力で確保しておかなければなりませんでした。それだけに人間性はいうに及ばず大変な力量と経営手腕、そして努力とを要求されたわけです。竹下元首相や宇野元首相などのように代議士や議員をしているような方の実家が醸造元というケースが多いのは、そのへんの事情を物語っています。つき合いの広い、社会的対応力の強い遺伝子をもった家系であったわけです。このような家系の場合、何事もなければその子孫は、やはりずっと社会の指導者層の役割を担っていくことになるでしょう。(P.59)

◎家運が下降をたどるという場合は、必ず先祖に色情問題が出ているのです。具体的には、妾を囲っていたとか、盛んに女遊びをしたとか、そういう人が一人でもいると、そのあと2代、3代続けて、坂道を転げるように落ちていきます。しかも、一度、不倫を原因としていろんな問題を起こすと、その次もまたくり返すという説明のつかない事象が出てきます。そして3代目には、自殺者まで現れることも…。これはもう不思議としかいいようがないのですが、夫婦関係が壊れると3代目には、自殺者や精神的自壊者、あるいは事故死や倒産といった思わざる悲劇が、必ずといっていいほど家系のなかに出てくるのです。この場合、早く亡くなる子に限って最も先祖の優秀さを受けつぎ将来を嘱望されていた子なので、以後、家系の発展が難しくなるのです。(P.61)

◎ですから、名家が坂を転げ落ちるのはものすごく簡単なことなのです。もっとも、これによって、ある特定家系のみが社会を指導することのマイナスが、このメカニズムで調整されているという側面もあります。(P.65)

◎両親を自分の家に迎え、大事にした分家というのは、その子孫が不思議なほど栄えていきます。核家族になったいまでも一般的に考えて、幼い子供たちにとって両親と一緒に祖父母と暮らすということは、縦の人間関係というものを身近に学ぶ機会を与えられていることになります。目上の人に対する接し方も自然と身につき、社会に出てからも目上から引き立てられるケースが多くなる、ということが言えるでしょう。東京の伊勢丹デパートの創始者、小菅丹治氏も隠居分家の家系から出ています。家系未来学的には「老親は買ってでも養え」ということになりそうです。(P.67)

◎家系に離婚、再婚といったものがなく、夫婦関係が順調な代が続くと、家運はどんどん上昇運に乗ってきます。(P.68)

◎金銭と女性のダブルのスキャンダルまみれになって参院選で惨敗を喫し、結党以来最大のピンチにあった自民党が、海部さんを選んだのは、家系未来学的には非常にすっきりと説明がつきます。それは、海部さんの家系を見ると一目瞭然です。海部さんの家系は、海部さんからさかのぼって十数代にわたり、離婚、再婚といったことがまったくなく、歴代きれいな夫婦関係が続いているのです。女性を大事にする家系であったことがよくうかがえます。このため、家運がどんどん上昇し、一族には一流企業のトップや、東大教授やノーベル賞受賞者など社会のリーダー的立場の人々がキラ星のごとく並んでいます。(P.72)

◎植物や動物の場合でも同じですが、本来、父親の遺伝子と、母親の遺伝子の関係が遠かったり、あるいは薄かったりというように、より離れた関係にある個体ほど、その子供は大型化し、優秀化するという遺伝学的特徴があります。代々、田舎に定着して暮らし、近くの村同士で結婚をくり返すと、子孫の体格は徐々に小型化し、能力も相対的に低下しがちになります。したがって、代々大きな家を構えて田舎にいる本家の長男よりも、都会に出た弟や妹たちの子供のほうが大型化する可能性が高くなります。ですから今後、ますます国際結婚が増え、世界中の人類が人種や民族を越えて混じり合うようになれば、どんなに優秀な人間が現れるか楽しみです。(P.80)

◎「どうも背景となる先祖が良くない」というときにも、まず自分の世代で遺伝子を変える、そのために自分たちの夫婦仲を良くする、ということを考えるべきでしょう。家系の悪い運勢を振り払うには、きわめて常識的なようですが、夫婦仲を良くすることだ、というのが2万件以上の家系調査による家系未来学の一つの結論なのです。(P.87)

◎M・T(宮崎勤)から見て、3代前の先祖までは、はっきりしています。曽祖父、祖父、父は代々酒、タバコをたしなまないほどの人たちでした。祖父は町会議員も務めています。ところが、問題は4代前の曽々祖父Xにあります。実は、このXは墓に名前がありませんでした。墓碑銘にも記されていないこの人物に関しては、地元の古老たちからさまざまなことを聞きました。ここで公開することはできませんが、Mと実によく似た人物であったということだけは申しておきましょう。犯罪にはこのように、その本人に対応する先祖の素行が問題となるケースが多くあります。「犯罪の陰に先祖あり」なのです。もちろん、そういう傾向がある、というだけで、本人の意識のほうがもっと重要なことはいうまでもありません。自分がどういう背景をもっているかを知り、本人の意識さえしっかりしていれば、先人の轍(てつ)を踏むことなく人生を歩むことは可能なのです。(P.98)

◎私たちはふだん意外と自分勝手に生きていて、自分のやったことやることに対し、家系上や、まして生物学上の責任は感じていないものです。そして自分が成功すると、まるで自分がすべて行ったように思います。ところが、家系の法則からわかることは、自分たちがいまこういう生活ができるのは、本当に先祖の人々の涙ぐましい努力があったからなのです。とてもその背景を抜きにして、私たちの存在そのものは考えられないのです。「いま自分は先祖とまったく関係がないんだ」と思って生活していますが、それはとんでもないことで、私たちがやっていることは先祖のなしてきたことと、きわめて関係が深いということをまず知っておいていただきたいと思います。(P.100)

◎子供のために忍耐することもできずに自己中心的な生き方しかできないような母親が多くなれば、日本の家系崩壊がますます急速度に進むことが考えられ、私は非常に危惧しております。結局、家を興し国を興す人材を輩出するのも女性ですが、逆に国や家を滅ぼす人材を生み出すのも女性なのです。(P.101)

◎平安時代のころまで、日本には「氏」しかありませんでした。蘇我氏、物部氏、藤原氏などがそれです。その氏から「名字」が分かれてきます。これは土地を領しているという意味で、氏の下に地名をつけて呼んでいました。藤原氏の一族が佐野という所に領地ともらうと、藤原姓佐野氏となります。単に佐野氏とも名乗りました。このようにして日本の姓は、ほとんど地名からできています。(P.114)

◎また、最もわかりやすいのが、藤原氏からの分かれです。遠江国の藤原氏で遠藤、加賀国の藤原氏で加藤、尾張国が尾藤、近江国で近藤、伊勢国で伊藤という具合に、地名と元の名字とが合体しました。同じ藤がつく名前でも、官名からきたものもあります。内藤は内舎人だった藤原氏ですし、工藤は木工助、斎藤は斎宮頭だった藤原氏ということです。ですから、工藤さんの元をたどれば、建設庁の長官だったわけですし、斎藤さんのそもそものご先祖は斎宮の祭式を取り仕切る神官だったことになります。(P.116)

◎日本では、分家することによって、その分家先の地名が名字になっていきます。山の上に分家したらその家は「山上」、山の下に分家したら「山下」という具合です。(P.117)

◎皇室だけが、現在も名字がないのです。昭和天皇のお名前は裕仁であり、今上天皇は明仁と申されますが、その上の名字というのはないのです。文化国家で名字のないのは、おそらく天皇家だけでしょう。それは天皇家がどこかから分家したのではない、もともとの大本家であることを表したものだと思います。(P.117)

◎日本の名字がだいたい二文字なのは、それが分家した地名に由来するからです。これに対して、血系でつながる中国や韓国の名字はほとんど一文字になっています。(P.118)

◎日本の苗字を人口の多い順に並べると、佐藤、鈴木、高橋がビッグスリーになります。なかでも佐藤さん人口は300万人を超します。特に東北では、1クラスに何人も佐藤君がいるというくらいポピュラーな苗字です。この本家本元をたどると、千年ほど前に、藤原氏の一族で藤原秀郷という人がいました。ムカデ退治をして大蛇から米俵を贈られたという伝説から、俵藤太とも呼ばれる豪傑です。平将門を討ったのがこの秀郷で、下野(しもつけ)国佐野(現在の栃木県佐野市)を本拠として東国一帯を支配したので、「佐野の藤原殿」と呼ばれたことから、子孫が佐藤を名乗ったといわれています。その子孫に源義経の忠臣、佐藤継信・忠信兄弟がいて、義経の身代わりとなって死んだことから武士の忠誠心のシンボルのようになり、佐藤姓を名乗る武士が多くなったともいわれています。

ナンバーツーのビッグネーム、鈴木さんのもとをたどれば、熊野神社の神官にたどり着きます。鈴木はもともと聖木(すすき)で、これは、稲の穂を積み重ねたなかに立てた棒を意味します。この棒を伝わって「稲魂」が天から降り下って次の豊作が約束されるという信仰がありました。この聖なる木を立てる専門の神主が、鈴木さんだったのです。ですから農民にとってはなくてはならない人でした。鈴木さんは、農業指導の他に日常のこまごました相談事やもめ事の仲裁役を果たしたりと、いまでいうコンサルタント業として尊敬され、農民憧れの的となっていたのです。このため、鈴木姓を名乗りたいと希望する農民が多く、鈴木姓が全国に増え広がったわけです。

ビッグスリーのなかで最も古いのは、ナンバースリーの高橋さんです。高橋というのは、神と人とを結ぶ、高い柱を意味して、古代の祭祀や重要な役割を果たしたものです。神様を「柱」というのは、もともと神様を呼び寄せるための柱を立てたことに由来します。柱を立て、縄ばりをして神を招き、膳を供えます。高橋姓のもともとの職業は、天皇に仕え、食膳を供える膳臣でした。食事を任されるほど天皇の信任を得て全国に広まり、この高橋家はいまは特に東北、関東に多い苗字です。また、四国の高橋家は、越智一族の分流が多く、九州の高橋家は帰化系の大蔵一族の分流で名前に種の一字を使用していたことでも知られています。(P.119)

◎「皇別」とは、天皇家から分かれた家です。源氏や平氏、橘氏もこのなかに入りますし、そこからさらに、佐竹一族とか、武田一族とか、渋谷、江戸、小田などの苗字が出ています。

皇室の始まりである神武天皇の6代前に天照大神がいます。この天照大神から神武天皇までの先祖から枝分かれした子孫は、これを「天孫」系と呼んでいます。また、天照大神が高天原へ降臨してくるときに一緒についてきた田力男命、猿田彦命とかの神々がいます。この一族は「天神」系と呼ばれます。そして、この神が天から降りてくる前にすでに日本の国土にいた一族、これを「国神」または「地祇」と呼びます。3~4世紀にかけて皇室を中心として日本が統一され、安定した豊かな国になると、今度は朝鮮半島や中国から多くの帰化人が渡ってきます。

日本民族は、この狭い日本列島に昔から閉じ込められていたのではなく、遠く異国の地から渡ってきた一族がほとんどだということも、家系の流れを深く研究していけば、よくわかるのです。こうして数多くの家系を調べていくうちに、このような「家系」というものをもつ日本文化の特色が透けるようにして見えてきた部分があります。(P.123)

◎最近では、親族殺人や通り魔殺人の背景には近親相姦があるケースが多く、時代が変わってもそうした形で崩壊していく家系が多いのです。(P.130)

◎古くは家系(=血統)の予防医学として、盛んに人の「道」が喧伝されました。たとえば四谷怪談などの物語は、色情による恨みを受けた本人が死んで恨みのすごさを男たちにまざまざと見せつけたものです。(P.130)

◎裏切った女性の性器を刺した男の息子が性器の病になり、女を見捨てて逃げた男の家族が社会から見捨てられる、というのはできすぎの因果話のようですが、事実あったことですし、こうしたケースでは、ことの顛末にこのような因果関係が出てくることが意外に多いのです。(P.135)

◎戦前の日本政府が富国強兵を旗印に、国民に多産を奨励したことは前に書いたとおりですが、決して生活が楽な家ばかりではありませんでした。もちろん子育ての喜びもあったでしょうが、8人、9人、10人ともなると、やはりそうもいっておれなかったでしょう。留吉、七五三蔵(しめぞう)、末子などという昔の名前を見ると、複雑な親の気持ちが伝わってくるようです。そのうえ、その後にまた生まれて又蔵、捨蔵などという名前まで登場してくると、もう悲愴感さえ漂っています。(P.138)

◎母親が胎内に子供を宿している間にその子供に対してどれだけ愛情をかけられるかが、大きく影響するのです。母親が胎児に対して情が薄いと、その子供ばかりか子孫にまで影響するのです。つまり、母親が子供を身籠っているときに、生活苦や夫への不信などで、この子は堕ろしたいとか、生みたくないとかいう気持ちがあると、それが胎児の成長に関係するとともに、その子の遺伝子に対して多大な影響を及ぼしていくのでは・・・と思うのです。母親が生みたい、ぜひほしいと思って生み出した子には、子孫がたくさん増える何らかの機能が宿り、その逆だと子孫は衰微運をもつようになる、ということです。(P.139)

◎家系の拡大力は、夫婦の愛情量に比例して拡大し、反面、情の薄い家は自然淘汰されるということでしょう。(P.140)

◎私たちの先祖を江戸時代までたどると、三大飢饉のときに必ずぶつかります。享保、天明、天保の大飢饉がそれです。家系図作図のために当時のお墓を調べると、必ず共通している事実に出合います。それは、一番最初に亡くなっているのが、その家の母親。そして祖父母が亡くなり、次に父親が死んで、子供たちは何とか生き延びる、という図式がはっきりと浮かび上がってくるのです。母親は、最も寒い日に飢えて亡くなっている場合が多いのです。自分は食べないで、子供たちに食べさせて自分は死んでいくのです。そのような母親のいる家系でないと、子孫は残っていきません。

いま生きている人々、つまり私たちは、このような試練を乗り越えて生き延びてきた人たちの子孫だということになります。よく、家系を調べると悪い先祖がいたことがわかったりすると嫌だから・・・という人がいますが、いま、私たちが生きているというだけで、私たちはいい先祖をもっていると自慢していいのです。(P.152)

◎関東武士団が頼朝に仕えて平家を討伐しました。その結果、全国に土地をもらい、守護・地頭として全国へ散らばっていきました。たとえば千葉さんという一族は、いま青森県とか岩手県に一番多くいます。武蔵の国(東京)にいた渋谷さんという一族が、いまは鹿児島に住んでいたり、江戸さんが東京にいないで茨城県にいたり、宇都宮さんが愛媛や福岡に大勢いたりします。このように、関東一円の地元の名字が全国へ散らばっているわけです。(P.171)

◎滅びたことのない国日本とは
もう一つ日本の特徴を確認しておきましょう。日本という国は、万世一系という体制を作り、今日まで一度も滅びたことがない国だといわれます。国が滅びるというのはどういうことかというと、民俗や宗教、言語が違う他の者たちによって強制的に支配され、その国の宗教や言語が否定されてなくなってしまうということです。

そういう意味で、日本は被支配民族になったことがないのです。それがいいか悪いかはともかく、戦後も日本の皇室は、祭る神様も庶民と同じ天照大神を祭り、話すことばも同じ日本語です。

そして、正月に注連縄(しめなわ)を飾り、初詣を神社仏閣で行うという風習も同じです。このような歴史は外国にはないのです。中国は、もともと異民族がいたところに漢民族が入り、また満州族が入ってきて征服してしまうなどのことがありました。インドでは、もともとのドラヴィダ族が出たところにアーリア族が侵略してきて、ことばも皮膚の色もまったく違う一族によって征服されてしまったわけです。

世界中のあらゆる種族が言語も風習も違う民族によって征服され、支配された歴史をもつなかで、日本だけは唯一滅びたことがありません。そして、滅びたことがないので日本は他に類を見ないある特徴をもっているのです。

◎親子関係に収束される日本文化
そのある特徴とは何かというと、日本では、すべての問題は「親子」になってしまうということです。これを私たちは「親子文化」と呼んでいます。たとえば、皇室というのは私たちの親で、私たちはその子供だというような発想です。または皇室は本来支配するものではなくして、大本家であり、私たちは分家という考え方です。

こうした制度は、すべての組織が運命共同体になるという考え方ですから、個人個人が勝手気ままな状態では結束が弱まります。ですから会社でも、社長は俺たちを支配している奴、という考え方ではなくて、「おらっちの社長」という感覚であり、社員は社長を「親父」とか「親父さん」と呼びます。組織の長である社長は、社員たちの親という立場であり、そういう関係にならなければ、組織は硬直化してしまいます。残念ながら現代ではこの関係も少し薄れつつありますが…。

ヤクザも親分・子分という関係になり、人が集まると擬似的な親子関係にしてしまうのが、この日本の社会なのです。彼らは先輩を兄貴と呼んだりもします。伝統として、日本では上に立つ者が、下の者の面倒見が良くないといけません。ただ単に給料を与えるだけでは上には立てません。下の者の面倒を自分の子供のように見れるか見れないかが、その人の器量ということになります。

社長は場合によっては、社員の結婚の世話までしないといけないし、結婚すると住宅の世話までしてあげたりとか、いろんなことをします。これが親子文化なのです。単なる金銭関係、契約関係でなく運命共同体となるのが、日本の企業です。日本が今日まで発展した背景には、この文化が大変大きく作用しているといいます。

それこそ社長といえども社員と一緒の運命共同体の構成員ですから、従業員たちは一つの会社に三、四十年と勤めます。たとえば極端なことをいうと、ネジを作る人は四十年間ずっとネジを作っているわけです。そうすると、四十年間もネジを作れば、ノウハウが蓄積されて、ネジでは世界一の技術者になります。

このため、日本では、中小企業がアメリカの大企業を凌駕(りょうが)するだけの技術と知識と経験をもっています。ネジ作りがいらなくなったら彼らをやめさせればいい、食えなければ社会か福祉で面倒を見ればいいというアメリカの社会が、改良技術や品質管理において日本に太刀打ちできないのは、これが原因です。

『新・家系の科学』(与那嶺正勝・著、コスモトゥーワン)