マネジメントへの挑戦(一倉定・著)

▼実施とは”やらせる”こと
実施とは、計画をやらせることである。やることではない。自分にやらせ、部下にやらせ、協力工場にやらせることなのである。

やらせるために、まず必要なものは計画である。計画なくて実施させることは、できない相談だ。

「部下が思うように動かない」という嘆きをよく耳にする。しかし、部下が動かないことを嘆くまえに、自分に確固とした計画があるかどうか、を反省してみる必要があろう。

次に、それを上司に、同僚に、部下に、協力工場に、知らせているかどうかを考えてもらいたい。

知らせない計画は、ないのと同じである。計画を知らせずに、部下が思うように動くわけがない。部下はどうしていいのか、わからないから、自分だけの考えでかってに動くほかないのである。部下が思うように動かない、まず第一の原因はここにあるのだ。

まず部下に目標を与えることだ。目標のない行動は”できるだけやる”ということになる。”できるだけ主義”ではダメなことは、すでに述べたとおりである。

われわれの行動は、つねに目標がなければならない。”これだけ主義”でなければならないのだ。

目標とは決意である。決意に基づく行動が実施であって、目標もなく右往左往することは実施ではない。(P.58-59)

▼時間を有効に利用する方法
第四に、準備に時間をかけることである。時間を有効に利用しようとするときに、われわれはよく準備の時間を切りつめようとする誤りをおかしがちである。これは、けっきょくは、時間を浪費することになる。

筆者は戦争中、自動車隊に属して中国大陸で数年を過ごしたことがある。悪路で車がめりこんだり、みぞに落ちたりしたときに、筆者はこれを引上げるためのほとんどの時間を引上げ準備に費やした。こうすると、引上げ作業そのものは、アッというまにすんでしまうのである。はじめのうちは、「そんなに準備しなくとも」といっていた部下たちも、しまいには、けっきょく、そのほうが早いということを悟った、という経験をもっている。

会社の仕事として同様である。急ぐときほど準備に時間をかける。そして、行動に移ったなら、一瀉千里に仕上げてしまうのである。(P.158-159)

▼人の長所を利用せよ
プロ野球、かつての強打者、青田氏のバッティング・コーチとしての指導方針は、「長所を伸ばして、短所を問題にしない」ということだと、スポーツ紙に紹介されていたのを読んだことがある。至言である。

人はだれでも必ず弱点・短所をもっている。そして、大部分の人はつねに弱点あるいは短所を問題にしている。

しかし、人の短所を問題にしてみても、そこから何も生産的なものはでてこない。真に生産的に利用できるものは、その人の長所のみである。とするならば、人の長所をみつけ、これを有効に利用することを考えるのが最上である。

(中略)

上役は、つねに部下の長所をみつけ、これを伸ばす機会をあたえてやることである。ほめて教えて、直してしかる。ということばがある。指導者の心得をいったものであろう。

(中略)

部下の短所ばかり問題にしている上役は、自分の無能を証明しているのと同じである。短所ばかりみていても、そこからは成果を生みだす何ものもえられないからである。有能な上役は、部下の長所をみつけて、これを伸ばすことに興味はおぼえるが、短所をさがしだすことはしないものである。(P.164-165)

▼知識にかたよりすぎた教育
実技訓練や一部の識者の教育をのぞけば、現在の教育訓練はあまりにも知識・技術にかたよりすぎている。小手先の技巧にとらわれすぎている。

「知識のみ身につけることは、いたずらに人間をあさはかにするのみである」(田辺昇一)のだ。学校教育の目的は”人間形成”である、とはっきりうたわれている。企業内訓練の目的も”人をつくる”ことが目的であることはまちがいない。

それなのに、それでもか、これでもかとばかりに”やり方”を教えこむ。ノウハウものの氾濫である。かんじんの”精神”はそっちのけである。

(中略)

日本人は神武天皇、いやもっと昔から、とにかく統治者がいて、統治者に従ってさえおれば、最低限の生命財産は保証されるという生活を二千年来つづけてきている。いわば精神的な”お坊ちゃん”なのだ。

そのお坊ちゃんが、アメリカ式の”やり方”だけを学んだところで魂がわかるわけがない。人間は苦労しなければダメである。こうした観点からみたばあい、日本人は不幸な民族である、という見方もできるのである。

(中略)

たんなる知識・技術ではなく、魂、知性、知恵、洞察力、判断力、決断力、行動力、といったものに重点をおいた教育をしなければならないのである。まず、”人間形成”に重点をおいた教育をするよう、指導者、教育者自身が自分を教育すべきであろう。

自分を教育する能力が、すなわち人を教育する能力であることを認識することからはじめなければならないのである。(P.212-215)

▼理想像のみ教えるのは危険
教育訓練とは、講師が自分のうん蓄を傾けて、相手に知識を植えつけることではない。

欠点だらけの、ドロドロによごれた現実に対処して、どうやって自分自身を高め、会社に貢献するかの道をみつけてやることなのだ。知恵と勇気を身につけさせてやることなのだ。(P.216)

▼経営を忘れている
筆者の知っているある会社は、社長がアメリカ流の人間関係を非常に重視し、何もかも従業員と相談し、和気アイアイのうちに仕事をすすめ、従業員は楽しそうであった。けれども、その会社は数年の寿命しかなかった。

相談してきめたことは必ずといっていいくらい、常識的なムリのない線に落ちつく。これで会社がうまくいったら、つぶれる会社は一つもない。会社の方針は、社長の信念から、社長の責任で、高い目標を設定しなければ、生き残れるものではない。決定はワンマンでなければいけないのだ。チームというのは運営の面で必要なのである。

いくら従業員が楽しく働き、人間関係がよくても、会社をつぶしたら、なんにもならない。次元の低い、和の精神は会社には大禁物だ。(P.230)


▼復刻に寄せて(一倉健二・次男)
父は常に常に、考えていた。同じ屋根の下に居ても別の世界に居た。
恐ろしい程の緊張感を漂わせていたので声もかけられない。或る時は檻の中の熊のように部屋の中を行ったり来たり、ブツブツブツ…自宅以外でもそうであったと想像するに容易である。

コンサルティングを依頼された赤字会社、その経営者の性格、黒字への画策、社長の性格に合った指導とは…時には赤字会社を同時期に五、六社抱えていた。

(中略)

赤字会社の中には、無償で指導し、出世払いということで。そして黒字になった時、社長は父を食事会に招くことで出世払い…事実上、無償、と父はニコニコして話していた。

社長の考え違い、怠慢を正す為に烈火の如く叱咤し、口汚く罵り、ある時は無言の指導を行う。社長の姿勢、考え方が変わり、黒字の兆しが見えてくると「あなたの会社はもう大丈夫、このまま続けなさい」と指導を終了、新たな赤字会社に目を向ける。

(中略)

一倉ならず、「鬼倉」。これは自称である。前橋市の菩提寺の墓誌に、私の母が石材店に頼み、父の名の横に刻んだ文字は「経営計画・顧客第一・環境整備」である。(P.264-266)


『マネジメントへの挑戦【復刻版】』
(一倉定・著、日経BP)