『奥義編「日月神示」神一厘のすべて』

◎日本の岩戸開きを考える際、核心となるポイント

「日本は、大東亜戦争に勝ってはならなかった。」
「日本は、その国土に核兵器(原爆)の洗礼を受けなければならなかった。」

そして、岩戸開きの中心こそ、昭和天皇であった。神武天皇が人皇として立たれたという岩戸閉めを開くことである。つまり、人皇から天皇(てんし様、スメラミコト)への大政奉還こそが昭和天皇に課された大きな使命ということになる。

◎広島と長崎の意味を言霊的に解く

昭和天皇の御名前は「裕仁(ひろひと)」であり、このヒロと広島のヒロは重なる。また、香淳皇后の御名前「良子(ながこ)」のナガは長崎のナガと重なるのである。

この意味を解けば、天皇(→広島)と皇后(→長崎)が原爆という火の洗礼を受けることによって、それまでの天皇の系譜、すなわち人皇の系譜が消滅したと解くことができよう。

◎憲法第9条「戦争放棄」の発案者は昭和天皇であった


官報号外昭和21年3月6日

昨(さく)五日、内閣総理大臣を宮中に召され、左の勅語を下賜せられたり。
朕(ちん)さきに、ポツダム宣言を受諾せるに伴ひ、日本国政治の最終の形態は、目本国民の自由に表明したる意思に依(よ)り決定せらるべきものなるに顧み、日本国民が、正義の自覚に依りて、平和の生活を享有し、文化の向上を希求し、進んで戦争を放棄して、誼(よしみ)を万邦に修むるの決意なるを念(おも)ひ、乃(すなわ)ち国民の総意を基調とし、人格の基本的権利を尊重するの主義に則(のっと)り、憲法に根本の改正を加へ、以って国家再建の礎を定めむことを庶(こい)ねがう。

政府当局、其れ克(よ)く朕の意を体し、必ず此の目的を達成せむことを期せよ。
(原文はカタカナ)

まず、宮中に呼び出された内閣総理大臣とは、幣原(しではら)喜重郎(きじゅうろう)である。幣原総理は、憲法作成に関し、日本側として最も深く関わった人物であった。その幣原総理を呼んで、天皇は、「憲法に根本の改正を加へる」ことを勅語として与えたのである。官報を見れば、その具体的な内容として、「国民主権」、「戦争放棄」、「基本的人権の尊重」がすべて入っていることがわかるであろう。我々が学校で習う「憲法の三大原則」の全部が入っているのだ。特に驚くのは、何といっても「戦争放棄」を明確に求めていることである。

日本国憲法は、単なるGHQの押し付けた憲法ではなく、その根底には昭和天皇の深い平和国家への熱願があって生まれたものだった。すなわち、日本国憲法は、「てんし様」の意志が入った憲法であったのだ。

◎てんし様の意志が入った、霊主体従の世の憲法

「日本のてんし様」である昭和天皇は、この日本に住むスメラの民に、ミロクの世のありようを、憲法に書いて見せてくれたのだ。神国である日本、そこに住むスメラの民に、ミロクの世とはこのような世だということを、先取りして示してくださったのだ。つまり、「てんし様」が臣民に示された「ミロクの世の型」が、日本国憲法の中に込められているのだ。

これが答えに違いない。人間心で、人間の立場でいくら考えてもわかるわけがないのも当然だった。これを憲法の文言から見れば、より一層わかってくる。前述したように、日本国憲法の理念は、諸外国の国民が徹底した善人であることを前提とし、その公正と信義に信頼して日本人の安全と生存を保持しようと決意している。隣人が善人でなけれぱ成り立たない憲法。それはつまり、人間が「霊主体従」でなければならないということである。霊主体従の世であればこそ成立する憲法とは、それこそ、ミロクの世そのものではないか。

◎「ミロクの世」に至る途中段階

現在はまだ、「ミロクの世」に至る過渡期、途中段階である。その中にあって、「霊主体従」を目指しつつ、現実の「体主霊従」、「力主体霊」の中をどう生き抜いていくか。それが、これから問われる日本の針路である。

『奥義編「日月神示」神一厘のすべて』(内記正時・著、ヒカルランド)