森信三『西郷南州の遺訓に学ぶ』

◎遺訓 六
【人材を採用するに、君子小人(しょうじん)の弁酷(べんこく)に過ぐる時は却(かえっ)て害を引き起すもの也(なり)。其(そ)の故(ゆえ)は、開闢(かいびゃく)以来世上一般十に七八は小人なれば、能(よ)く小人の情を察し、其の長所を取り之れを小職に用ひ、其の材芸を尽さしむる也。東湖先生申されしは「小人程才芸有りて用便なれば、用ひざればならぬもの也。去りとて長官に居(す)え重職を授くれば、必ず邦家(ほうか)を覆すものゆえ、決して上には立てられぬものぞ」と也。】

◎真の政治
行政というようなものを見ても、徳あるものを人の上に据えて、才能あるものをその下につけるという根本原則は、十分には行われていないように思われるのであります。むしろ腕利きといわれる人を人の上に据えるという傾向の方がより多いのではないでしょうか。

しかし真の政治というものは、有徳者を上に置いて才能あるものを下につけるというこの根本原則を外にしては到底出来ないのであります。(P.52)

◎遺訓 七
【事大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀(さぼう)を用う可からず。人多くは事の指支(さしつか)うる時に臨み、作略(さりゃく)を用て一旦其(そ)の指支(しじ)を通せば、跡(あと)は時宜(じぎ)次第工夫の出来る様に思へども、作略の煩(わざわ)ひ屹度(きっと)生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以て之れを行へば、目前には迂遠(うえん)なる様なれども、先きに行けば成功は早きもの也(なり)。】

◎真実の人
真実の人は詐謀(さぼう)を用いないのであります。同時に真実の人というものは永遠を見る人であります。これは現実には見透しの利く人であります。真実というものは主観的には私心をいれないということであり、私心をいれないということは常に己れの精一杯を尽くすということであります。すなわち捨身奉公ということであります。(P.55)

◎官僚タイプ
官僚タイプとは結局単に現れたところしか見えない、それでいて官の威光で以って威張って喜んでいるということであります。裏面の実情の察しがつかないで平気で威張って居られるということであります。むろんこの官僚気質を除くには、最後は苦労という鑢(やすり)をかけて人間の角を落とすより仕方がないのでありましょうが、しかし現実の苦労というものに出おうた時そこに予め教えというものがないと、その鑢(やすり)を耐え忍んで受けて行くことが出来ないのであります。(P.85)

◎個人の交際
徒(いたず)らに相手の意を迎えようとすることは却って彼の軽侮(かいぶ)を招く所以(ゆえん)であります。(P.95)

◎全体としての根本態度の確立
予め気象を以ってうち克っていないと現実においての一事一事に克ち通すということは容易でない。すなわち全体的に生活の根本態度としてそこが確立せられていなければならぬ。単に一々の起こったことのみでなく、予め全体としての根本態度が確立していなければならぬというのであります。(P.115)

◎遺訓 二五
【人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽して人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。】

◎真の学問
真の学問というものは、甘かった人間からその甘さが次第になくなるということでもあるのです。つまり学問が進むと共に人間としての甘さが次第にとれて行く、こういう一面が出て来なければ真の学問とはいえないのでありましょう。(P.132)

◎道
どうも校長にならねば教育の理想が行われないなどと、とかく考え易いのでありますが、これはつまり教育というものを外形的に考えた事柄であります。道はいかなるところにおいても行われるものであり、又そうでなくては真の道ではないのであります。訓導としても、首席としても、校長としても道の行われることに相違はないのであります。(P.138)

◎己れを尽す
真実とは、畢竟(ひっきょう)己れを尽すということであります。かく己れを尽すことが真の真実であるならば、人間如何なる位置に置かれても、真実に生き得る筈であります。(P.139)

◎遺訓 二九
【道を行ふ者は、固(もと)より困厄(こんやく)に逢ふものなれば、如何なる艱難(かんなん)の地に立つとも、事の成否(せいひ)身の死生抔(しせいなど)に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動す人も有れども、人は道を行ふものゆえ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只管(ひたす)ら道を行ひ道を楽み、若し艱難に逢ふて之れを凌(しのが)んとならば、弥弥(いよいよ)道を行ひ道を楽む可(べ)し。予壮年(よそうねん)より艱難と云ふ艱難に罹(かか)りしゆえ、今はどんな事に出会ふとも、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。】

◎真の学問
単なる概念の理会というものは真の学問ではないのでありまして、わが身にふみ行い、わが身に実現するということに至ってはじめて真の学問であります。(P.170)

◎譬(たと)えのうまさで体認の度をはかることができる
普遍なる理論を真にわが身に体し得て、はじめて譬えを引くことが出来るのであります。これを逆に申せば、譬えを縦横に引くことが出来るか否かによって、その人の体認の度の深浅をはかることが出来るともいい得るのであります。(P.170)

◎遺訓 三八
【世人(せじん)の唱ふる機会とは、多くは僥倖(ぎょうこう)の仕当てたるを言ふ。真の機会は、理を尽して行ひ、勢を審(つまびら)かにして動くと云ふに在り。平日国天下(くにてんか)を憂ふる誠心(せいしん)厚からずして、只時(ただとき)のはずみに乗じて成し得たる事業は、決して永続せぬものぞ。】

◎真の機会とは真実の展開する必然性をいう
翁のいわれるには「そもそも機会といわれるものに二種類がある。普通世間の人々がいう処の機会とは、多くは偶然に出合う僥倖(ぎょうこう)をいうのである。ところが、真の機会というものは決してそういうまぐれあたりのものではないのである。真の機会とは理を尽したあげく行い、状勢の詳細を察した上で動くところから必然に生まれ来るものである。平日国家天下を憂うところの誠心厚からずしてただ時のはずみに乗じてなし得たような仕事は、決して永続するものではない」といわれるのであって、これは全くその通りと思うのであります。(P.179)

◎才と誠、才と徳が融合してはじめて事は成就する
肥後の長岡先生の如き君子は、「天下の事は凡(すべ)て誠でなければ動かないものである。がしかし、治めるということになるとそこに才能を必要とするのである。すなわち人を内面から動かすものは徳であり誠であるけれども、しかし衆を統(す)べるにはどうしてもそこに才能というものを必要とする一面がある。誠の至れる人はよく人を動かす。その人に感じて動くこと又速かである。また才能周(あまね)き人においては、その治める範囲が広大である。才と誠、才と徳とが融合して然る後はじめて現実界の事は成就するものである」というのが大体の意味でありましょう。(P.182)

◎遺訓 四〇
【翁(おう)に従(したがい)て犬を駆(か)り兎(うさぎ)を追ひ、山谷を跋渉(ばっしょう)して終日猟(か)り暮らし、一田家(いちでんか)に投宿し、浴(よく)終りて心神(しんしん)いと爽快に見えさせ給ひ、悠然として申されけるは、君子の心は常に斯(かく)の如くにこそ有らんと思ふなりと。】

◎君子の心
藤樹先生の原稿を録したもののうちに、良知というものは夜蚊帳の中にひとり寝転んだようなものである、という意味のことを申されておりますが、夏一人静かに蚊帳の中に寝転んだときのような心もち、ゆったりとして何物にもこだわらぬ気持ち、それこそ真に良知体認の境涯に通ずるものでありましょう。(P.187)

◎真の武
武といえば、多くの人は剣とか楯とかいう武器の如くに思うのであるが、真の武の本体は、かかる外物にはなくて、敵の内面実情を洞察するの明であるというのであります。(P.191)

『森信三講録 西郷南州の遺訓に学ぶ』(森信三・著、致知出版社)