『縄文のパワーフィールドへ』

◎6世紀に仏教が入り、その頃になって神道という言葉が出てくる。

◎縄文時代は1万年続いた。縄文末期に渡来系が稲作と金属を持ってきた。人口は7万9千人だった。1000年が経って7世紀初頭、人口は530万人になっている。この内自然増加は130万人で、他は渡来系ではないか。

◎神籬式(大自然の中で神様をお招きする)→鎮座式(米の倉に神を祀ったのが原形)

◎仏教が入ってきて寺が建ち、それを見習って神社が建てられた。

◎大祓詞→渡来人たちの持ち込んだ文化の上に乗った形で作られた。

◎一番古い祓詞と言われている大祓詞。天津罪とは農耕に対する罪。具体的にいうと、人様の田んぼのあぜ道を壊したとか、水路を埋めた、人様の畑に自分の種をまいたなど。国津罪(人倫に対する罪)には、おのが母と子が犯せる罪(近親相姦)、獣犯せる罪(獣姦)などのほかに、白人(しらひと)、胡久美(こくみ)という病者(体が不自由な人)は罪だというのも入っています。

明治時代までは、この大祓詞は「中臣祓」とも称されて、前時代的な文言のまま数百年にわたって、ずっと唱えられてきている。この病者、弱者は罪だということは、農耕の共同作業を一緒にできないから、罪だということになるのですが、こういう精神性は縄文時代にはありませんでした。縄文時代は生きることに必死で、生を受けた人たちは寄り添って生きていた。縄文時代の遺跡を発掘したら、ポリオのおばあちゃんが何人かの子どもに囲まれていた。このおばあちゃんは語り部の役をしていたらしい。生ある人たちを非常に大切にしていた縄文時代。これに対して、農耕、共同作業ができない人たちは罪だと言った弥生時代。これは外来の人たちが持ち込んだ精神性だと思います。それもひっくるめた形で、神道は成立していきます。

◎物のけ退治には、神社神道式だけのやり方では効果がない。これは私が先々代から教わったことです。いわゆる祓いと供養(とよう)。仏教では供養です。祓いだけではダメで、供養(とよう)の部分も必要です。僕はたまに物のけ退治をやっていましたが、こういうことを、今の神社本庁は認めないわけです。仏教は仏教、神道は神道。神仏習合の祭式行事は認めない。もう一度明治のもとまで戻して、神仏習合でもいいものはいいもので残そう、が僕の意見。

◎海外の宗教学者は、みんな「教義、教典がなくて、どうして日本人は神道の信者であり続けるのか」と言います。僕は何度かさまざまな宗教者が集まる国際会議に出ていますが、言われることはいつもそれです。「日本の神道が何千年も続いているのはどういうことだ」。僕は、わかりやすく神道を語るにはこの2つでいいと言っています。「中今」というのがその1つです。過去があって、現在があって、未来がある、過去の自分たちの先祖から血を受け継いで、今現在、生かされている。悠久の歴史の中の今、我々がこの時代に参加している。だから、生かされているこの時代で精いっぱい生きなければいけない。こういう考えが中今の精神です。

もう1つは、「お天道様が見ているよ」。我々は小さいときから、悪いことをしていると、「こら、お天道様が見ているよ」といったことを言われてきた。それを毎回言われるのを聞いて大きくなった。大人になっていくのに従って、善悪の判断の基準にそれを自覚するようになる。正しく生きることで太陽に手を合わせられる。

「お天道様が見てござる」と「中今の精神」、この2つだけで神道は語れると僕はしょっちゅう言っています。あとは、惟神(かむながら)です。お天道様が見ているという判断の上で自分が行動する。自分が行動することが果たして神の御心にかなっているのか。こんなことをしたら神様が怒るのではないか、神様はこれを許してくれるのか。それを自分で善悪の判断をして、正しいことを選択する。これが惟神の道だよと言っています。惟神、神の御心のままに。

◎僕は明治以降の神社界に精神はないと思っています。今、神社に残っているのは形だけです。七五三や初詣の参拝者を祓うだけ。たまに地鎮祭に行くぐらいのことしかやっていない。衰退していってもしようがないというのが今の神社界です。

◎今、忙しい、本を読みたくない、勉強したくない、歴史なんかどうでもよいという人のほうが多い。でも、私は非常に不満です。かつてすばらしい日本があった。しかし、今の神社はパワーがないから、行って拝んでも人生はそんなに変わらない、映画を見たほうがましだというリアリティーになりつつあると思います。これは日本だけではありません。全世界的に右脳を抑圧するシステムになっていて、人間の本来の深い可能性を全部遮断させようという動きがあると思います。何も陰謀論ではありません。

◎言霊の意味
『万葉集』に柿本人麻呂の「敷島の大和の国は言霊の幸はふ国」という歌があります。古代においては、言葉の「こと」というのは事柄の「事」と同一の概念を指し示していました。言葉の神様は事代主です。しかし、『古事記』や『日本書紀』では「事代」を「言代」と言いかえている場合もあって、「事」と「言」は昔は一緒だった。言葉に出して発することは、事柄としてあらわれることだ、自分の意思がはっきりしたときに限って言葉にしなさいということです。古代の人たちは、ぐちゃぐちゃしゃべらずに、よしやるぞと決意したときに発する言葉が言霊として生きるという考え方だったのです。その言霊の概念は引き継いでいるのですが、古代と違って、軽いものになってしまっていますね。

◎神社界では天皇様は総神主として捉えられています。しかし、具体的に対外的にその働きはしていません。神社本庁の組織のあり方からしても、世界的な環境活動をやろうおいう知能も能力もありません。国際会議ひとつ開けないていたらくですから、神社本庁からは望むべきものは何も出てこないと思っています。

『神道よ!今こそ《古来の本物の道》に戻るのだ!-縄文のパワーフィールドへ』(奈良 泰秀×エハン・デラヴィ対談、ヒカルランド