『日月神示が語る今この時』

◎てんし様と昭和天皇

内記:神武天皇から人皇になったけれども、本当のてんし様、天津日嗣皇尊の御神霊を受け継いで復活したのが昭和天皇だろうとしか思えないわげです。天皇陛下と国民の関係は、君-臣の関係ですが、逸話的にもう一つ言えば、天皇を神と呼んだ人が戦勝国、運合国側に2人います。1人はダグラス・マッカーサー。マッカーサーの回顧録は、『われ神を見たり』という英語の題名です。その本で昭和天皇を褒めちぎっているというか、本人がもうほとんど昭和天皇に心酔している状況です。このように、天皇に神を見たのが連合国軍総司令官だったダグラス・マッカーサーでした。

もう1人は、東京裁判の裁判長だったオーストラリアのウィリアム・ウェブ。戦犯を裁く裁判長が、昭和天皇について「戦争に負けてもなお天皇でいる、帝位を維持しているのは神でなければできない。そうではないか」と取材のインタビューで言っています。軍総司令官と戦犯を裁く裁判長の2人が、天皇を神だという側面から物申しているわけです。

◎御神業は厳しい世界

中矢:御神業というのは本当に巌しい世界なのだなとわかりました。

黒川:想像を絶していますよね。甘い気持ちで入ると火傷をします。名のある神業者の中にもすごく苦労されている方がいますから。

中矢:金持ちになるわけでもないし、有名になるわけでもないし、天明さん自身も病気で亡くなっているわけです。そうすると、人間の考えでは、いったい何のための人生だったのだろうと思います。でも、使命のような何かがあったのかもしれないですね。

黒川:1つの人生ではわからないですよね、どうしてこんな悲しい方がいるのかなと。

内記:それを、神様は「因縁の身魂」というたったこれだけの言葉ですべてを言いあらわそうとされているのかなと思いますが。神示にも「因縁の身魂ほど苦労に苦労をさせ、鍛えに鍛えているぞ。生まれ変わり、死に変わりして鍛えに鍛えている」という表現があります。そういった流れの中で出てきたのが天明さんであり、天明さんを支えた周りの人たちだったのでしょうね。

中矢:「嫌なことは我が血筋に致さすなり」(青葉の巻七帖)とか、出てきますよね。むしろ嫌なことを引き受けるという。

内記:しかも、因縁の身魂は自分のめぐり取りとか身魂めぐりだけでなく、「家のめぐり取り、国のめぐり取りまでしなければならない」と書いています。

◎マクロビオティック

中矢:私は、『神一厘のシナリオ』のときは、マクロビオティックとかいろいろつながりを見ていった中で、これは玄米菜食がいいという意味なのだなと思いましたが、日月神示の中に玄米がいいとは1カ所も書いてないのです。だから、本当に玄米が正しいのかどうか。私自身は今玄米を食べていません。『玉響』にも書いておられる鶴見隆史先生によると、玄米はダメなのだとか。玄米はアクリルアミドという発がん物質が出るからよくない、むしろ白米のほうがいいという説があります。はっきり玄米菜食が一番いいのかというと、最近はよくわかりません。

黒川:もともとイネは東南アジア原産です。寒冷地にも対応できるイネが品種改良され、「水稲農林1号」が栽培され広まったのは戦時中から戦後にかけてです。北陸などの米どころは、戦前は米どころではありません。山陽地方や温暖な地方でした。その上にあって、桜澤さんの玄米菜食も、当時の栄養学の最先端を、さらに自分と弟子を使った人体実験的な要素も含みながらやってきた。そういう過渡期のものだとも直弟子の方々は述懐されています。

中矢:私も、マクロビオティックとも前からかかわって、いろいろな方とおつき合いもあります。これはあまり本には書けませんが、マクロビオティックの指導者には早死にの方が多い。特にがんで死ぬケースが多いのです。あの人もこの人もという感じです。だから、何か間違っているのではないかと。あまりにも食にこだわり過ぎているのかもしれないし。日月神示には玄米が一番いいとは一言も書いていない。「五穀野菜の類であるぞ」空の巻十二帖ほか)とは書いてあるけれども。

内記:おっしゃるとおりです。五穀、海のもの、野のもの、山のものという感じです。玄米と一言も書いてないです。

◎霊的な念

黒川:あとは、霊障ではないけれども、いろいろな人が来て霊的な念を置いていく。それが相当至恩郷に渦巻いていました。わかりますよね。

中矢:わかります。

黒川:だから、あまりごちゃごちゃしていて、至恩郷には私も行かなかったです。ちょっと人がはけた後に行った。そのほうがちゃんと三典さんと話もできたし。

◎同殿同床

黒川:だんだん、自宅に神棚をお祀りしようとなってくるのではないかと思います。

中矢:戦前の日本とか地方へ行くと、大体神棚があったりしますよね。

黒川:戦後、核家族になって、仏壇も神棚もない家が普通だったけど、ここに来てだんだん、家にお社をお祀りしようと。私の周りの若い人たちも、自分の部屋でお札を貼る。正直、まだ粗末です。だけど、だんだん祀る型になってきた。それは世の中が変わってきたなと忠います。

内記:同殿同床の形があちこちに自然発生的に出てきたということでしょう。この鼎談の最初に、うちの実家は奥座敷に大きい神棚があって、そこで祖父と父親が御神事をやっていたと言いました。そのときは全く疑問にも何も思わなかったのですが、まさしく同殿同床そのものだったわけですね。神様と同じ家の中に住んでいる。神様はもちろん奥座敷の一番いい場所ですよ。そこにちゃんとお供え物をあげて、私も子ども心に拝んで。そういった神と人とのかかわりが普通であり、自然なのだよ、当たり前なのだよというのが、今のお話ですごく感じられてきました。

◎正月

黒川:江戸時代までは、正月は年神様の祭りで、年神様は本来家庭に祀っていました。だから、お正月に初詣に行く風習は、江戸時代まではなかったのです。初詣に出かけるのは、明治時代以降です。明治の中央集権国家が自分たちの認めた官幣大社とか伊勢神宮を頂点にしたヒエラルキーを形成し、国民に崇めさせた。国民に神社参拝させる意識をつくり、今は正月の初詣に神社に参拝に行く。

本来、正月は年神(祖霊)を迎える祭りだから、家に籠(こも)って神を迎える祭りだった。『万葉集』を読めば、物忌みをして家に籠った情景が歌に残っています。新嘗祭などは、冬至を正月とした祭りの名残といわれます。

◎惟神の道

中矢:生活の一部に神様がいて、一緒に人生を歩んでいくみたいなものが、本来あるべき姿でしょうね。

内記:本当だったら、朝起きたら神様に御神饌をお供えして、パンパンとやって、「きょうも1日お守りください」「お導きください」「健やかに生きられますように」とか、あるいは「神様とともに生かしていただきます」というのが本来の姿であって、夜は夜で「きょう1日ありがとうございました」という感謝でしょう。そういうことで1日が終わっていく。神人交流です。それが惟神(かんながら)の道。

中矢:今は逆で、家の中に神はいなくて、初詣に並んでお参りして、これで終わったという。

内記:気休めですよね。

黒川:今の一般の人は、年1回、初詣に苦労して並んで、はいおしまい。

中矢:あとは全く関係ないですよね。

黒川:もともと日本の歳時記、春祭り、夏察り、秋察り、冬祭りとかがあって1年が過ぎていく。海外から輸入されたコマーシャリズムが顕著なハロウィン、バレンタイン、クリスマスには神がいないですね。地方では神祀りのないただの夏祭り、公園に人が集まり騒ぐのを祭りと言っている。神様を祀ったら今はダメなのです。自治体が神様を祀ったら、キリスト教の連中が政教分離違反だと騒ぐ、おかしな状況です。

◎リズムに沿ってお祀りする

中矢:新潟県のある地域の八坂神社では年1回のお祭りがあるのですが、特定の日付が決まっています。しかし、お客さんを呼び込みたいために、それを週末にやってくれと言われて変えてしまった。

黒川:今はほとんどそうなっています。民間の祭りもそうだし、休日でないと人が集まらないということです。大本の月次祭も、今は日曜日です。戦前は18日とか特定日が多かった。天明さんの奥山は8日でした。それを日曜日にやっています。月次祭の執行を志す方に勧めたいのは、毎月8日とか、縁のある日にちに祭典を執り行うこと。そうすれば、サイクルを感じるようになります。リズムに沿ってお祀りしていると、神意の感覚がつかめるようになります。

それが第1日曜日とかだと、そのようにはなりません。さらに言えば、旧暦の縁のある日付で催行すると、さらに月の動きのリズムと合ってくるので、神気というか、すごく感じやすくなってきます。そういうこともだんだん広めていきたいですね。

◎パワースポットブーム

黒川:現在、パワースポットブームで神秘的な力などを求めて来る人も多いから、そういう現象に惑わされる。神社に参拝したら光が見えたとか。でもそれは完全に魔境です。長い歴史を持つ座禅の世界で見たら、そういうのは退けなければいけない現象ですが、それを指導する人もいない。それが魔境であると指摘する文化が熟成していないのに、パワースポットブームが先行してしまっている。そういう部分には危倶します。天明さんの時代からの反省が生かされていない。

内記:形式だけのお祭りや、外にお参りする人は増えたが、家の中から神様が消えた。日々の生活で神とともに暮らす「同殿同床」が本来あるべき姿。

『日月神示が語る今この時』(中矢伸一・黒川柚月・内記正時 対談、ヒカルランド)