教えもまた術多し

「言志後録12 教(おしえ)もまた術(じゅつ)多し」

◎子弟の傍にいてたすけ導くのは教えの常道である。子弟が邪道に入ろうとするのを、戒め、さとすのは教えの時を得たものである。自ら率先実行して子弟を率いるのは教えの根本である。何事も口に云わずに、子弟を教化するのは教えの霊妙な極致である。一度抑えつけて、そしてほめ、激励して道に進ませるのは、教えの一時的な方便であり、臨機応変の方法である。このように教えもまた幾多の方法があるものである。

◎備考
孟子・告子下篇に「教えもまた術多し。われ之(こ)れが教誨(きょうかい)を屑(いさぎよ)しとせざる者も、これまた之れを教誨するのみ」とある。つまり、気に入らないから教えないというのも教えの一つであるというのである。

◎付記(一斎式教えの術)
「教」→「常=個性に従って指導する(平素)」「時=邪道に入るを警戒する(臨時)」「本=手本を示して率いる」「神=暗黙のうちに導く」「権=臨機応変の指導」

『言志四録(二)言志後録(佐藤一斎・著/川上正光全訳注、講談社学術文庫)