阿蘇中岳の噴火

7日は大津の道の駅であか牛丼を食べてからミルクロードを通って阿蘇市内へ。阿蘇は3月くらいに入った以来で、4月の震災後は初となる。

国道57号線が土砂崩れで埋まってしまい、阿蘇大橋も崩落したため熊本市内から阿蘇へ入るにはこのミルクロードしかない。午後2時を過ぎていたが、やはり渋滞している。大津を出てすぐに左折して工業団地を抜けると、そこはカルデラの外輪山を切り開いた観光道路。片側一車線の急勾配を大型トラックや事業用車、家庭用車がノロノロ運転でつながっていく。

あちらこちらで国交省関係の職員が測量をしていた。冬場は果たして通行出来るのだろうか。目の前に土砂崩れのむき出しになった山肌が視界に飛び込んでくる。やがて山を下り、国道57号に戻る。大変な迂回路だった。

大津から阿蘇大橋付近まで4車線化を進めていたくらいに交通量の多い路線で、それが寸断されてしまったのだから、そのダメージは計り知れない。

57号に合流した赤水のコンビニで小休止し、阿蘇市内へ車を走らせる。道路に多少凹凸を感じるくらいで、周辺はさほどの被害も見えない。運休中の豊肥本線の阿蘇駅を越えてしばらくすると仙酔峡入口を越えて宮地駅。そこを左折して阿蘇神社。

阿蘇神社は楼門と拝殿が倒壊し、防護柵で囲まれた今も建物は崩れたまま残されている。正面に置かれた仮設の賽銭箱前で参拝。脇に回ると仮の祈願所が設けられ、すぐ近くに崩れた拝殿と神殿が横たわっている。

(地震前の姿を何度も拝しているだけに阿蘇神社の現状には胸が痛むばかりだが、一方で地震前から縁結びの願掛けなる大衆迎合の玩具を境内に配置したり、地震後のこの期に及んで仮賽銭箱の脇にはバラエティみくじの数々が5-6種類ほど横に並べられており、私としてはこれら玩具は神域を汚すと考えているので、阿蘇神社の管理者の見識には私としては非常に不満を感じている。だから阿蘇神社が倒壊したなどと言うつもりはないが、こういう下らない玩具は阿蘇神社だからこそ絶対に置くべきではないと地震を経てその思いを更に強くした)

阿蘇神社を出て、再び国道57号を赤水へ戻る。赤水からミルクロードへ続く迂回路は更に渋滞が激しくなっていたが、私は57号を直進して、寸断された阿蘇大橋方面へ向かう。赤水から先はガラガラ。大橋の手前から南阿蘇につながる道が1ヶ月ほど前だったか復旧したという情報を得ていたので、ひとまず阿蘇ファームランドを目指す。

ここは被災した東海大の阿蘇キャンパスも至近で、道路もかなり亀裂が入っている。トイレ休憩でもしようかと思ったが夕方でもあったので、そのまま久木野へ向かう。県道298号は阿蘇山頂へ向かう登山道でもあるため米塚の手前で通行止め、右折して県道299号に入るが、ここが路肩や1車線分が崩落しているような道で、応急の迂回路を通って先へ進む。夜だったら間違えて崩落した道路に進入して死ぬかもしれない。

しかし、こういう生活道路まで応急補修をして通そうとしてくれる国や県という存在は有り難いものだと痛感。国や県の悪口を言うのは簡単だが、国や県に守られて我々が生きているのも事実なので、そこを忘れてはならない。

あそ望の郷くぎの、道の駅。ここでやっとトイレ休憩。南阿蘇であるので、南側から阿蘇中岳が一望できる。曇ってもいたが、何となく噴煙が出ている??

久木野からグリーンピアの近くを抜けて、グリーンロード南阿蘇。8月に益城から西原村と抜けてミルク牧場経由でグリーンロードを白川水源方向に走ったが、今回はその逆。夕方5時で暗くなり始めていたから、とにかく急ぐ。

熊本市内から南阿蘇に抜ける道は俵山バイパスという立派な道路・トンネルがあったが、ここは震度7の震源域であったためトンネルは崩落し、橋も崩壊。いまだに復旧の目処すら立たない。そのため、迂回路として一本だけ生き残ったグリーンロードしか通行することが出来ない。

このグリーンロードはカルデラの外輪山南斜面をのぼる登山道であり、これまた走行するにはしんどい。二輪のツーリングで使われるようだが、決してトラックや事業用車が走る道ではない。ここもさまざまな車がスピードを上げて行き交う。北のミルクロードと同じく、南のグリーンロードも冬場は通行できないのでないか。通行できたとしても私は来たくない。

ミルクロードより強烈なクネクネ道を上り下り、西原村へ入った時には日没であった。

そんなこんなで夜7時頃に益城を通過して市内に戻る。夜、繁華街のセカンドサイトでストリートパフォーマーのS氏と1時間ほどお喋りして部屋に戻ってテレビをつけると「TKU 火山情報」とテレビの字幕。「ほほう、TKU(テレビ熊本)は深夜に火山情報を流すのか」と見ていたら阿蘇中岳が噴火、と。

NHKにチャンネルを変えると福岡発の九州ローカルで噴火の臨時ニュース。翌朝のテレビで、阿蘇神社も宮地周辺も火山灰で覆われたことに衝撃を受けた。私の滞在が8時間も遅れていたら、噴石に巻き込まれていたかもしれない。通過した仙酔峡入口の近くにあるかんぽの宿では、車のガラスがことごとく割れたようだ。

そういえばセカンドサイトにいたとき、足元がズシンと揺れていた気がしたのを思い出した。あれが阿蘇の揺れだったのだろうか。S氏から「万が一でも火砕流に巻き込まれていたら大変だったね」とFBでメッセージを頂く。

市内から阿蘇への大動脈が2本とも寸断されたことに、何かの意味があるのか。阿蘇はもはや立ち入ってはならない場所なのか。住みたい場所に住む、居住の自由ということが許されない時節に入っているのかもしれない。