十日戎(浪速区)

そもそも関東出身の人間としては「十日戎(とおかえびす)」という概念が存在しない。

東京では地元の富岡八幡宮(例の刃傷沙汰で妙なイメージがついてしまった)で11月になると「酉の市(とりのいち)」があって、「お酉さま」と呼んでいたが境内に熊手の露店がずらっと並び、あちらこちらで三本締めと威勢のいい掛け声が聞こえてきたものだ。

酉の市も2回行われる年と3回行われる年があって、『今年は三の酉まであるのかあ』と嬉しい気持ちで日没後「お酉さま」に出掛け、帰りに縁日であんず飴を食べてくるのが子供の頃の楽しみであった。

さて、ここは関西。
毎年1月、西宮神社で若い男たちが猛ダッシュで境内を駆け回る「十日えびすの福男選び」はTVニュースになるので全国的に有名だが、大阪で十日戎といえば今宮戎神社。

ということで、1/9,10,11の3日間、終夜行われるという十日戎に出掛けてみた。高槻で地元のあらばしり4合をいただいた後のほろ酔い気分。

今宮戎神社そのものは四天王寺の建立とほぼ同時期だそうで、西暦600年(推古天皇8年)というからまた古い。堺筋線で恵美須町駅を降り、縁日を通って参詣。1/10の夜11時を過ぎていたが、賽銭箱の前までたどり着くのに15分待ち。

拝殿で福笹【無償】をもらって、吉兆と呼ばれる飾り物【有償】を付けるという、今のインターネットビジネスによく見られる「LINEは無料だけど、スタンプは有料。欲しいスタンプがあればどんどん金を使う」みたいなビジネスモデルの原形が十日戎にあるわけだが、あまりに人が多すぎるので手ぶらで退散。

境内まわりの縁日をグルッと一周して、なんば方面にも縁日が続いているじゃないかということで、南海線沿いの縁日を北上。

「あんず飴食べたいな~」と思っていたのだが、関西には「あんず飴」は存在しないことを初めて知った。あんず飴と言えば、ネチネチと液体の水あめでアンズや梅干しのようなスモモを包んで、歯にくっつけながら食べるものだが、関西では「りんご飴」なる屋台にたくさん出くわす。

鎌倉の縁日で「りんご飴」を食べた記憶はあるが、関西の「りんご飴」は小粒リンゴがカッチカチの飴で固めてあり、ポリポリ音を立てながら食べる。

さて。
煮込みの屋台があったり、新世界のようなスマートボールの夜店が多いように、縁日は縁日で私が東京で見てきたそれとは全く異なる雰囲気だということは興味深いものがあった。

結局、北上してきた露店は「難波中2」の交差点まで続く。
時刻は既に午前1時半をまわっており、タクシーに乗るしか帰宅する方法はないのだが、

この縁日を歩く人々も大半がタクシー難民なので、到底タクシーがつかまる訳がない。

仕方なくなんば駅まで歩くことになった。高島屋の前のタクシー乗り場がまた大行列で30分以上待ち。御堂筋から奇跡的に左折してくるタクシーのおかげで、少しずつ行列が消化されていく感じ。

乗車したタクシーのドライバーによると、
十日戎のときは心斎橋まで歩いても駄目で、御堂筋の両側で千手観音のように手を上げる客が多いが、とにかく大きいタクシー乗り場で待っていなさい、と。タクシー会社の方針で大きい乗り場でしか乗降させないように「予約車」「回送」表示にして、寒い乗り場できちんと待ってくれる客を優先するのだそう。

どうしても路上でつかまえたかったら、難波の南方面からなんば駅に向かって北上してくるタクシーを拾うのが裏の手ですよ、と教えてもらったが、それにしてもこのドライバーさんだけでも十日戎の時は一晩で7万売り上げるらしい。1月は結局70万の収入と。その代わり閑散期は月収30万くらいで平均して毎年同じ金額になるそうだが、

まあとにかく神社にしてもタクシーにしても、関西は商人(あきんど)の国なのだなとつくづく思った。

酔いは全部吹っ飛んだ。