大阪市中央公会堂(北区)

岡田信一郎、辰野金吾という近代建築の巨匠が手掛け、大正7年(1918)に竣工した大阪市中央公会堂。現在は国の重要文化財に指定されている。

この日は大阪都構想の「特別区設置協定書に関する住民説明会」。この歴史ある中央公会堂で第一弾が開催されるということで、歴史的な日になるのかもしれない、と申込して抽選に当たったということだ。

淀屋橋駅を降りて、京阪側の出口から中之島の川沿いを進むと間もなく中央公会堂に到着。

建物前では反対派がビラを配って反対活動に精を出している。警察車両や報道関係のカメラを横目にすぐ入場。入口で検温されて参加ハガキを提示。大正ロマンあふれる重厚な大集会室(ホール)ではソーシャルディスタンスに基づき、1座席ごとに着席禁止の札が掲げられている。

10時半開始のところを10時に着いてしまったので、後方に座って説明パンフレットを読みふけっていたら、いつの間にか場内が埋まり、壇上には松井市長、吉村知事、他副市長ら事務方が勢ぞろい。

活動家がワーワー騒ぐこともなく、幼児の泣き声以外は静粛で、スムーズに進行していった。

事務方の説明のあと、松井市長が特別区の概要を説明。その後、吉村知事が府としての広域戦略を語って、残り20分で質疑応答。

質疑応答の指名が5人くらいだったと思うが、3人が「大変詳しく説明してくれて」と謝辞から入り、それは私も同感だった。多くの参加者がそう思ったのではないか。

松井市長の説明も丁寧な内容であったが、吉村知事の話はまた頭のキレが別次元のような印象があり、とても森〇健作じゃあ同じ芸当は出来ないだろうな、という感じ。

まあ、私は維新信者でもないので、政治的に賛成派・反対派に与するつもりは全くないのだが、私自身が東京の特別区に20歳まで住んでおり、「特別区?あたり前じゃないの?」という感覚が大前提にある。

区立の小学校、中学校に通い、ごみ収集車は東京都の銀杏マークを目にしてきたので、都と区の役割分担ということが実感として分かるし、大都市においてはむしろその方が自然だろう、という。

現在の「東京都江東区」はもともと「東京府東京市の深川区と城東区」が合併して特別区に移行されたものだが、私が子供の頃は旧深川区のエリアは深川平野町、深川三好町みたいに旧深川区の区名をつけて読むことが普通であって、例えば日本橋あたりも日本橋人形町、日本橋蛎殻町みたいに「東京府東京市日本橋区」の区名を冠につけることが慣習的になっていた。今でこそ「東京都江東区平野」とか「東京都中央区人形町」みたいに旧行政区名が消滅して久しいが、

「旧深川区なんだよ」「旧日本橋区なんだよ」みたいな行政区の縄張り意識は、制度変更されても50年くらいは軽く残るということではないだろうか。とすると、大阪の場合も「旧西成区」「旧生野区」「旧阿倍野区」みたいな縄張り意識も当然残り続けることになるだろう。少なくとも今生きている人たちの存命中は。

今回、大阪で特別区の設置が可決されると「大阪府天王寺区阿倍野〇〇」みたいに旧行政区名が特別区名の下に挿入されることが決定しているが、これも流れとしては「東京府東京市」から「東京都」への特別区移行にならっているのだろう。

さて、住民説明会に戻るが
質疑応答の時間。5名くらいのうち2名、理路整然と的確な質問をする人がいて、残りのうち2人は「維新のサポーターをしている」とか政治的な話を盛り込む人がいた。あくまで行政としての説明会なのに空気読めないなあ(維新の信者ならば、政治的話題を出すことで尚更、維新の足を引っ張ってしまう自覚がないのだろう)と思いながら、でも一切退場者もなく平穏に幕を閉じた。

むしろ、わざわざ申し込んで住民説明会に来るという、地域の自治に対して真摯かつ「意識高い」参加者が集まっていたということなのかもしれない。質疑応答の時間が拡充されればもっと白熱したのかもしれないが、政治的な肩入れは抜きにして、市長・知事はじめ事務方の説明は本当にそれだけで「ご苦労様でした」と心からねぎらいたいくらいに心身消耗されたことだろうと思う。

松井市長と吉村知事それぞれの説明の後、そして閉会の際には場内の多くの人から拍手がわき上がり、作為的な仕込みでもなく本当にその辺りのねぎらいの気持ちに満ちていた場内であったように感じた。

まあそれにしても、
夜帰宅して各局の報道を見ると、この説明会のネガティブな場面だけを切り取って反対意見を際立たせるような映像、音声、参加者インタビューの出し方に、これが「偏向」という奴か、と反吐が出る思いである。この日2回の住民説明会を終え、疲れ切っている松井市長の眉間にしわを寄せた表情をドアップにして映像の合間に数秒間織り込む局など、とにかくネガティブな印象操作をしたい放送局のやりたい放題である。

少なくとも住民説明会の会場に流れていた空気と、当日のテレビ報道で切り取られたニュアンスには天と地ほどの開きがあったと言ってよい。真実はその場に居合わせた当事者が知るのみである。

何度も言うが私は維新信者でも、特定の政党に肩入れする思想もないので、
この住民説明会も極力ニュートラルな視点で(もちろん私の主観は入るが)書き残そうとしているつもりである。

最後に。
私は東京の特別区出身者なので「特別区」に対する親しみがあることから、大阪での特別区設置には賛成の考えだが、一点だけ気になることがある。

今回配られた資料から、
新しい特別区ごとの「総生産額+商業販売額+工業出荷額」の合計を計算してみたら、

◎淀川区(新大阪エリア、夢洲エリア他)
9兆1,305億円

◎北区(梅田エリア、京橋エリア他)
21兆882億円

◎中央区(心斎橋・なんばエリア、大阪城エリア、南港エリア他)
30兆4,306億円

◎天王寺区(天王寺・あべのエリア、鶴橋エリア他)
3兆5,168億円

いやいやいや、これ天王寺区の一人負けじゃないか、という点。
天王寺区は本当にハルカス周辺しかないので、最も税収が上がらない特別区になる。

旧西成区を新しい中央区が含むということは、中央区の財政で旧西成区を救済する考えもあるだろうが、位置的に堺市が特別区に将来参加する場合に、現在の大阪市と堺市の中央に位置する中央区という意味で西成を併合する意味合いもあるのではないか。

ま、それはいいのだが、中央区のダントツな経済規模と、梅田エリアの発展は間違いないこと。あと、新大阪駅周辺の開発がこれから進むことと万博の夢洲エリア。淀川区も成長材料を確実に握っている。

それに対して天王寺区は本当に天王寺駅周辺だけなので、あとは延々住宅地が続くような状況であり、特別区設置からしばらくは財務調整もされるのだろうが、何十年という長期的に見たときに、天王寺区の中で天王寺・あべのエリアに匹敵する成長材料を作っていかないと、中央区・北区との激しい格差にさらされる困窮した地域となることは明らかだ。

これまでは大阪市単体での中央部分の成熟が周辺部に波及する形での成長を遂げていたので、そういった同心円のグラデーション的な広がりに対して均等に区割りをしていくのは無理といえば無理もあるので、反対派の声もあながち無視はできない。

新しい天王寺区の公選区長や議員が天王寺区に対してどういうビジョンを描くか、という所で選挙がますます重要になるだろう。

「成長」ということはこれからの時代において相応しいテーマではないのではないか、という声もあるかもしれないが、日本で地下鉄が東京の銀座線しか走っていなかった頃に大阪では御堂筋線用に10両編成用のトンネルを掘ろうという、当時では「頭おかしいんちゃうか」の壮大な成長戦略を描いて御堂筋に地下鉄を掘ったわけで、結局、今の人たちはそのインフラの上で当たり前のように生活しているわけで

今回この住民説明会に参加して、「成長戦略」を持つことは将来のために大事なのだな、ということが私の中では明確になった。実際、松井市長も吉村知事も、それが福祉を維持するにも教育を充実させるためにも、大阪が生き残る道だと何度も強調されており、これこそがとても現実的な考え方だと腑に落ちた次第である。

※私も写っちまったので。
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※写真元